昭和の時代は、若者の見た目や趣味などの特徴を「族」でカテゴライズしていたのをご存じだろうか。今でいう「〇〇系男子」や「〇〇系女子」といったところだろうか。
今ではめっきり聞かなくなり死語と化してしまったが、今回は懐かしの「〇〇族」について注目してみよう。

族の元祖は斜陽族

若者を族でカテゴライズし始めたきっかけと言われているのが、1947年に発表された映画「斜陽」に登場する若者たちだ。
映画では、斜陽族を戦後の劇的な変化によって没落した上流階級の人々を指す意味で使っており、はじめは随分とネガティブなカテゴライズだった。
しかし、その後は若者の特徴を揶揄したりブームを表したりする意味で広く使われるようになっていく。

太陽族

石原慎太郎原作、石原裕次郎主演の映画「太陽の季節」に影響を受けた若者が太陽族だ。1955年に映画が放映されて以降、劇中の裕次郎のファッションを真似て、サングラスにアロハシャツを着た若者が急増したという。
特に舞台となった湘南は太陽族の聖地で、アロハシャツを着た男子が大勢たむろしていたとか。
自由奔放に、無秩序で無軌道な行動をする若者としての意味合いが強いようだ。

カミナリ族

カミナリ族とは、公道をオートバイで高速走行する行為を好んでいた人達を指す。
マフラーの芯を抜くなどの改造車で騒音を出しながら走るのが特徴で、昭和30~40年代頃を中心にブームとなった。
走行音がまるでカミナリの音に似ていた様子からカミナリ族と名づけられたそうだ。
現在の暴走族、特に競争型暴走族の前身と言われている。

みゆき族

1960年代、東京・銀座のみゆき通り近辺に集まっていたことから命名されたのがみゆき族だ。彼らは奔放な考え方や行動を示すのが特徴で、ただみゆき通りをぶらぶらと歩くというのが流行した。
みゆき族は独自のファッション文化やストリートカルチャーを流行させ、日本のファッション史にも大きく影響を与えている。とくにアメリカの「アイビールック」を着崩したファッションは、トラディッショナルなスタイルとして今の時代にまで受け継がれている。

竹の子族

1980年代、独特の派手な出で立ちで、ディスコサウンドに合わせてダンスを踊る者や見物する若者が現れた。当時、原宿の代々木公園横には歩行者天国があり、そこでラジカセを囲み路上で踊ったのが竹の子族だ。ブームになってからは、名古屋など地方都市や小規模エリアごとの公園にも竹の子族が出現し、全国的に流行したという。

カラス族

全身黒ずくめのDCブランドで街を闊歩したのがカラス族だ。1980年代に登場し、DCブランドの流行を後押しした。見た目そのままに命名するあたりに、昭和っぽさが感じられる。